<うめだ番傘川柳会の歩み>
昭和24年1月、正法寺で発足句会。
創始者は矢野千両、副に田名部修三と川村伊知呂。
特異句会として盛大さ(出席80名)を誇り
しかも句報を出さないことが名物(?)で、
労力や費用は番傘本社の為に使うのが、番傘を大きくし、
しいては川柳界の為であるとの信念を貫く。
その後、昭和29年から年鑑句集の形式で
伊知呂・いさむ・修三が再選して作成。
現在のような毎月の句報に切り換えたのがいつかは
定かでない。
昭和41年には今の形の句報が存在、
また水府の嫌ったカップ杯の記録も残っている。
会場は今発展中のキタの中心に近い。
会長は千両、修三、白虎、五柳子、白虎、金之助、良子、
春日子、千代美と続く。
昭和55年くらわんか番傘創立に伴い、うめだ生え抜きの
英比古が移籍。
白虎は会長時代、本社幹事長の任にありながら
『川柳歳時記』を、5年後に既刊を越える季語と例句を
入れた新版を上梓したのは偉業といえる。
平成9年に、うめだ番傘50年と合わせて、田頭良子の
『もなみ抄』発刊大会を行う。
その後は、道頓堀船上句会やボウリング競演句会など、
吟行に類する感謝還元を目的として実施。
毎月の句会では多数入選者を次回の撰者にすることが特長。
平成18年からホームページ開設で行動発信など、句報以外の細心な交流を深めている。
今後ものびやかな句会を展開の予定。
